木の家づくり100Taiken
つくる
家族で挑戦した、セルフビルドの家づくり
セルフビルドで取り組んだ「御代田の家」
- 話し手:
- 相羽建設(株)広報・新築住宅事業部
伊藤夕歩 - 場 所:
- 長野県御代田町
Taiken
相羽建設の伊藤です。僕は長野県御代田町に生まれ育ち、6年前に東村山市へ移住してきました。少し僕自身の生い立ちや家族での家づくり体験から感じてきたことをご紹介したいと思います。
両親の移住からはじまった御代田での暮らし
東京で育った父と山梨で生まれた母が結婚して長野県の御代田とい う小さな町に移り住んだのが1980年を少し過ぎた頃。
古い民家を借りて手を入れながら、 二人の陶芸の仕事のための仕事場や窯場をつくって生活がはじまり ました。建物はもともと養蚕をしていた水車小屋で、 住み始めた当初は茅葺き屋根でした。 電気は来ていたものの水道はなく、井戸の水をポンプで引き込み、 暖房やお風呂は全て薪の火でまかなう生活。 畑や田んぼをしていた大家さんや知人の方から、 毎年野菜やお米をいただいて、自然と野菜中心の生活になり、 秋には稲刈りを終えた田んぼでイナゴを追いかけて、 それが佃煮になって食卓に上がったりしていました。
家の目前に田畑の用水が流れ、 毎年夏は蛍の光を夜に眺められたり、蛙の大合唱が風物詩でした。 周りに家の無い一軒家で、冬はスケートクラブの後で兄と二人、 月夜に照らされた雪道をもくもくと歩いて帰った時の景色は記憶に 深く残っています。
長野オリンピックの道路工事で家の裏山がけずられて井戸水が枯れ てしまったことと、新しい家がほぼ出来上がったことで、 御代田での最初の家から引っ越しをすることになります。
家族でセルフビルドする楽しみ
新しい家は、家族みんなでセルフビルドでつくった家です。
ものづくりが好きで、「何でも自分でつくりたい」 という父を中心に、家の建築に約8年半もの歳月を要しました(!)。
隣町の軽井沢で解体された古民家の骨格をベースにしながら、 基本的には家族でつくりながら、 必要な時には大工さんの手や重機や道具を借りて工事を進めていま した。 長野オリンピック工事の際に出た工事用木材を人づてでいただいた り、 知り合いの人を介して窓やドアなどの建具や煉瓦を集めたりと、 できるだけコストをかけずに時間と手間をかけてつくることがテーマだったそうです。
そう言えば、「何でもやってみれば出来るもんだよ」 というのが父の口癖です。
基礎工事にはじまって、ほとんどの大工仕事をし、 粘土に塩のにがりや藁を混ぜて土間のたたきをつくったり、 丘の下の部落から竹やぶの中を50mくらい穴を掘って水道管を引 いて浄化槽を庭に埋めたりと、今考えると「 時間があったとは言え良くやったものだなあ」 と我が家族ながら感心してしまいます。
「つくることの楽しさ」を実感
小学校の頃に壁の板を兄弟で張って「きれいに張るんじゃなくてランダムに張るように考えて」と父から指示を受けたことや、室内の煉瓦の中に薪ストーブの煙を通して蓄熱させようという企みがうまく行かずに木酢酸の匂いが室内に立ちこめ、学生服がなんとも渋い匂いになったことも、今では楽しい思い出です。大変さより、「つくることの楽しさ」を実感した時間でした。 そして出来上がった家で暮らす中で、四季折々の景色や、時間とともに変化していくもの一つひとつが自分にとって大切な経験につながっていたように思います。
時を経て色褪せない「家づくり」という体験
……色々思い出しながら、リアル「北の国から」 な暮らしをしている伊藤家なのでした。
その後、 私は両親のように焼き物をつくるわけではなかったのですが、 ものづくりや手しごとに興味を持ち、デザイン制作会社に勤めて、 工務店が建てる住宅を紹介する住宅情報誌の仕事に携わることにな りました。約6年間の間に150軒ほどの住まいにお邪魔して、 その家づくりの過程や住まい手さんやつくり手である工務店の人た ちの想いをお聴きしました。
自分の体験を通して感じるのは、「 家づくりにはやっぱり夢がある」ということ。 暮らしや生活の全てを包み、 家族がともに過ごす場所だからこそできることが住宅にはたくさん あって、そこに関わる仕事に自分も携われたら… と思い相羽建設に転職させていただくことになりました。
話し手プロフィール
相羽建設(株)広報統括|新築住宅事業部
伊藤夕歩
信州は浅間山のふもと御代田出身、東京都東村山在住。
住宅建築・リノベーションを行う地域工務店の広報の仕事や、広告や編集の仕事に携わっています。
自然も街も好きですが、時間ができたらちょっと遠くまで行ってみたいこの頃。